こんにちは!UCL(ユニバーシティカレッジロンドン)で物理を勉強しているAyatoです!今日は、UCLが実は日本ととても深い縁があるという話です。日本からUCLに来られる方は必読ですよ!
UCL/ユニバーシティカレッジロンドンと日本の歴史
今から遡ること約2世紀。1863年に長州藩の5人の若手藩士が英国で留学しました。この時に彼らが訪れたのがUCLでした。一行は合わせて長州五傑と呼ばれており、その中には初代内閣総理大臣である伊藤博文がいました。

他のメンバーもあとで紹介しますが、帰国後は皆、日本の時代を一歩先に進めることに貢献しました。そのような先輩たちがいるのがUCLです。
なぜUCL/ユニバーシティカレッジロンドンか
なぜ彼らはUniversity of Oxford(オックスフォード大学)やUniversity of Cambridge(ケンブリッジ大学)ではなく、UCLを選んだのでしょうか?実は当時、他の大学は異教徒という理由で彼らを受け入れませんでした。しかし、UCLだけは「学ぶ意欲のある者には平等に門戸を開く」という革新的な精神を持っていたのです。このDiversity & Inclusion(多様性と包摂)の精神は、今のUCLにも色濃く受け継がれています。
見つかれば死罪だった渡航
今でこそパスポートがあれば誰でも行けますが、当時は鎖国中。見つかれば死罪です。彼らの密航はまさに「命懸け」でした。現代は十数時間のフライトでたどり着けますが、当時は陸海を乗り継ぎ、半年もかかりました。
彼らは髷(まげ)を切り落とし、刀を置き、決死の覚悟で船に乗り込みました。そこまでして「日本の未来を変える知見」を求めた彼らのハングリー精神には、同じ留学生として背筋が伸びる思いです。
Choshu Five(長州五傑)
写真をご覧ください。写っているのは長州からイギリスへ留学した学生たちです。

遠藤謹助――外国に頼らない造幣技術を確立
左上に写っている人物は、遠藤謹助(えんどう・きんすけ)です。彼は帰国後造幣局で働き、日本人だけで貨幣を製造できる技術を確立しました。それまで貨幣の製造は外国人技術者に頼っていましたが、その状況を変えたことから、遠藤は「造幣の父」と呼ばれています。
また、大阪の名所である「桜の通り抜け」を考案した人物でもあります。日本を象徴する桜で人々を楽しませようとしたその姿勢には、強い感銘を受けます。なお、UCLのJapanese Gardenには、 Choshu Fiveによる日英友好関係の象徴として、桜の木が植えられています。
井上勝――日本の鉄道事業を推進
中央奥に写っている人物は、野村弥吉(のむら・やきち)です。彼はのちに井上勝(いのうえ・まさる)と名乗ります。
井上勝はUCLに入学・卒業し、当時世界最先端であった鉱山学や鉄道技術を体系的に学びました。特に、鉄道を国家インフラとして整備するという考え方そのものをイギリスで身につけました。帰国後、彼は日本の鉄道事業を主導し、路線整備や技術者育成を進めました。
その結果、日本各地に鉄道網が広がり、人と物の移動が飛躍的に効率化されました。私たちが日常的に利用している鉄道は、まさに彼の仕事の延長線上にあります。この功績から、井上勝は「鉄道の父」と呼ばれています。
伊藤博文――初代内閣総理大臣
右奥に写っている人物は、伊藤博文(いとう・ひろぶみ)です。彼は後に、日本で初めて内閣制度を導入し、初代内閣総理大臣となった人物です。また、大日本帝国憲法の起草を主導し、日本を近代国家として制度面から形作りました。
伊藤もまた、若き日にイギリスへ渡り、UCLで学んだ一人です。議会政治や法制度が社会をどのように支えているのかを、当時世界最先端であった英国の社会から直接吸収しました。この経験が、帰国後に日本独自の憲法と近代的な国家運営を構想する大きな土台となりました。
今や当たり前のようにある「内閣」「首相」「憲法に基づく政治」は、伊藤が築いた仕組みの延長線上にあります。UCLで得た知見が、まさに日本の政治制度として今も生き続けているのです。
山尾庸三――工学教育の先駆者
右手前に写っている人物は山尾庸三(やまお・ようぞう)です。彼は後に、日本初の本格的な工学教育機関を立ち上げ、現在の東京大学工学部の礎を築いた人物です。その功績から、「工学の父」と呼ばれています。
山尾はイギリス留学中にUCLを訪れ、当時最先端であった実践的な工学教育に触れました。理論だけでなく、社会の課題を技術で解決するという英国の工学思想は、彼の進路を決定づける重要な経験となったそうで、帰国後、近代日本に必要不可欠であった技術者の育成に力を注ぎました。鉄道、造船、建築など、日本の産業基盤を支える技術は、彼が築いた教育制度から多く生まれています。
現代の私たちが安全で便利な社会インフラを享受できている背景には、山尾の先見的な取り組みがあったのですね。個人的な考えですが、1人で全てのインフラを実装することはできないので、まずしっかりと学び、それを教育という形で社会実装に貢献するというのはとても筋が通っているように感じました。
井上馨――日本の外交基盤を確立
最後に、左下に写っている人物は、井上馨(いのうえ・かおる)です。彼は帰国後、外務大臣などの要職を歴任し、日本の近代外交を切り開いた人物として知られています。井上馨もまた、若くしてイギリスへ渡り、UCLを訪れた一人です。異なる文化や価値観が共存するロンドンでの経験を通して、彼は「交渉とは力だけでなく、理解と信頼の積み重ねである」という外交の本質を学びました。
この国際的な視点は、帰国後の外交交渉に大きく活かされました。彼は、不平等条約の改正に向けた交渉や、欧米諸国との関係構築に尽力しました。私たちが今日、国際社会の中で一国家として対等に関係を築けている背景には、井上馨が築いた外交の基盤があります。UCLで培われた国際感覚は、日本の外交の原点の一つとなっているのですね。
UCL/ユニバーシティカレッジロンドンに刻まれた彼らの名前
彼らの名前は、UCLのStudent CentreとMain Quadの間にあるJapanese Gardenに置かれた石碑に刻まれています。外部の方でも見学することができますので、ご興味のある方は英国で日本との強いつながりを感じられてはいかがでしょうか。

図書館の隣にあるので、個人的にはよく通る場所です。その度に今の日本を作り上げた先人たちの努力に想いを馳せ、元気をもらっています。
現在のUCLと日本の関係
UCLと日本の関係は、長州ファイブの時代から160年以上続き、現在も教育や研究の場で具体的な形を持っています。歴史を踏まえながら、今のUCLと日本の関わりをいくつかご紹介します。
学術面で日英パートナーシップ強化の取り組み
UCLは日本との関係を戦略的に重視し、大阪大学や東京大学、理化学研究所(理研)、JAXAなどとの共同研究や学生交流を活発に進めています。公式情報によると、日本の研究機関と800本近い共同論文を毎年発表しており、学術面でも強い結びつきがあることが分かります。
特に東北大学とは大規模なマッチングファンドを通じて両大学の共同研究や交流活動を支援しています。毎年公募で一年単位のプロジェクトを6つ採択し、1件当たり最大約210万円の資金を提供するというものです。 また、毎年のようにUCLの副学長が日本を訪問し、大学や研究機関との研究連携をさらに深めました。
災害科学や脳科学、気候変動の分野での共同研究が話題になり、実際に現地の施設や学生と交流しながら、未来に向けた協働の可能性を確認しました。さらに長州ファイブ受入から160年の節目であった2023年にはUCLの学長自ら来日し、大阪大学や東京大学などへの訪問や祝賀イベントに参加しました。
Japanese Gardenと日本大使出席の記念式典
UCLキャンパス内のJapanese Gardenでは、桜の木を中心に日英関係を象徴する庭園があります。日本庭園記念式典には在英国日本大使も出席し、教育・文化の交流の大切さを改めて示しました。桜を通じて、過去と今の日英のつながりを感じられる場所です。
日本で広がるUCL同窓会
国内ではUCL卒業生の同窓会が非常に活発で、研究やビジネス、行政などさまざまな分野でネットワークが広がっています。留学での学びは帰国後も続き、次世代の学生たちにもつながる環境が整っています。
このように、UCLと日本の関係は歴史に支えられながらも、現在進行形で具体的な協力や交流を生んでいます。キャンパスで学ぶ私たち・これから学ぶ皆さんも、きっとこうしたつながりの中で新しい価値やアイデアを見つけることができるでしょう。
まとめ
160年前、先人たちは「日本の未来」を変えるために、命懸けで海を渡りました。
時代は変わり、今では飛行機でひとっ飛びの距離になりましたが、「未知の世界に飛び込み、新しい価値観を学ぶ」という留学の本質は、いつの時代も変わりません。
UCLのキャンパスを歩いていると、ふと思います。 かつて彼らがここから日本を大きく変えたように、ここにいる一人一人が今、あるいはこれからUCLを目指すあなたも、将来何かを大きく変える一人になるのかもしれない、と。
歴史は教科書の中だけにあるのではありません。これからの歴史を作るのは、今を生きる私たち自身です。
次は、あなたがこのUCLで、新しい歴史の1ページを書き始めてみませんか? ロンドンのキャンパスで、お待ちしています!















